お風呂にはいりたくなかったときのこと
「お風呂に入るのがしんどい。」
私の中でこれは1種の心の調子の目安である。
そんな状況は、仕事を辞める3年前頃にきた。お風呂にはいる時間が来るとどうも体が持ち上がらない。眠いことは眠い。お風呂にはいったらさっぱりするのもわかっている。でもどうしてもはいりたくない。
こんな状況はだんだんひどくなっていった。服を脱ぎ、長い髪の毛を洗い流し、洗顔して洗い流し、体を洗って流し、湯船につかる。お風呂からあがったら洗い流さないトリートメンとを塗りドライヤーで髪の毛を乾か・・・のが心底長い儀式のように思えた。
一連の儀式を行うために、いろいろためした。
朝風呂してみたが当時朝がものすごく早い仕事だったのでしんどかった。帰宅後すぐお風呂にはいる方法も考えたが寝るまでに汗をかいたら気持ち悪く眠れなかった。
お風呂にはいるのがしんどすぎて泣いていた。『風呂にすら入れない自分はどうかしているのではないだろうか。あぁ、でも明日は仕事がある。不潔な身なりで人には会えない。臭い人と思われたくない。』毎日そんな心境だった。
儀式の短縮も取り入れた。
湯シャンである。毎回シャンプーで髪の毛を洗うのではなく、お湯のみで髪を洗う。ネットで調べたところ慣れてくると髪の艶が出て良いなど書いてあり、うってつけの方法に歓喜し、頭をシャンプーで洗わなくて済む方法をとりいれた。2週間くらいやった気がするが、頭皮がベタベタして臭いも気になった。
他人にも臭いで迷惑かけているのではと心配になり『自分は湯シャンも向かないどうしようもない人間』という負い目を感じた。
そんなこんなで仕事を辞める頃は仕事の日でも儀式を行う力がもうなかった。
ちょうど冬だったのでなんとかいけそうな気がしていた。周囲の目が気になったが契約満了までにはなんとか仕事にいかねばならぬ。
たくさん読んだ自己啓発本の中で「なりたい自分になるために、君が今すぐ出来て続けられることは何か1つ書き出してみよう」という項目があった。
なりたい自分はスタイルが良く、お金持ちで、知識があって、かっこいい彼氏がいて、ちゃんと仕事をしていて・・・など今思えば理想が高いなぁと思うがそれを得たかった。
突き詰めた私の答えは「毎日シャンプーはする」という事だった。
ロックスターのような自分が今すぐ出来て続けられることが、毎日シャンプーはすること。この時点で病院に行った方がよかったなと冷静になった今では思うが、最後まで仕事を続けたかった私は、シャンプーだけはなんとか毎日して「仕事に行く権利がある人」の称号を得て、契約の仕事は無事満了してやめた。
心身ともに疲れている時は、お風呂にはいるのすらとても体力を使う。
これは本当にそう思う。お風呂ににならず、掃除、選択などの今まで出来ていたことが面倒で出来ず、自己嫌悪になり、自分の生活環境や仕事に影響を及ぼす状況には、本当に心身の休養が必要であると思う。